【アリとキリギリス】人を小馬鹿にしない

ただいまうちの子は、1週間のスクールホリデー中。

休み明けは、学校で英語のストーリーテリングがあるようで、割り当てられたイソップ物語の「アリとキリギリス」を練習しております。

このお話、今改めて聞くと、子供の時とは違った捉え方になるなあと思って聞いております。

アリかキリギリスか、どちらの生き方が良いかなんてよく議論になるようですが、そんなことより「自分と違う生き方の人のことを小馬鹿にしない、見下さない」ってことの方が重要かなあなんて思いました。

アリとキリギリス

アリとキリギリスは有名なイソップ物語のひとつですね。

有名なので物語の内容は省きますが、このお話の結末が現在出回っている話とはちょっと違うようです。

子どものお話では、アリさんは飢え死にしそうなキリギリスさんに食べ物を分け与えるところで話が終わっていますが、初版のオリジナルでは、アリさんは「キリギリスさんは夏の間歌っていたんだから、今度は踊ったらどう?」と言って食べ物を分け与えることを拒み、キリギリスさんは飢え死にするんだそうです。

オリジナル版はなかなかシビアな結末ですが、どちらにせよ「キリギリスのような怠け者は痛い目に遭うよ」という教訓ですね。

でも大人になった今このお話を読むと、別にキリギリスは改心すべきだとは思わないし、怠け者だとも思わないんですよね。

むしろ今の時代は、頑張らず(無理しない)、今を楽しむ、中今(なかいま)で生きる大切さが見直されています。

今まではアリ的な生き方が素晴らしいとされてきましたが、キリギリス的な生き方も取り入れていく人がもっと増えていくでしょうね。

人を小馬鹿にしない

とはいうものの気になるのは、キリギリスのアリを小馬鹿にする言動。

この物語は、アリが善で描かれていますから、どうしてもキリギリスを悪に仕立て上げたかったのもあるとは思います。

でもアリさんもアリさんで「キリギリスさんも僕たちみたいに働いたらどうだい?」と呼びかけるあたり、自分たちの生き方が正しいと思い、キリギリスの生き方が理解できておらず、ちょっと小馬鹿にしているかなあ。

むしろアリさんの方が無自覚に小馬鹿にしているかも。

SNSの世界でもこういう「人を小馬鹿にする」言葉がたくさん溢れていますが、正義感から無自覚で発しているっていうのが一番厄介かもしれません。

相手のためだと思って言っているんですよね。

なんでも決めつけず、思い込まず、それが自分にとっては常識はずれであっても「なぜそういう言動に至ったのか」と考えてみることが大切だなと子どものストリーテリングを聴きながら思いました。

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エカの南国主婦ライフ
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