海外に住んでいると「宗教は何ですか?」と聞かれることがよくあります。
私の日本の実家は禅宗の臨済宗ですが、普段読経をしているわけでもなく、お盆やお葬式のときにしか宗教を意識することはありません。
実家には、仏壇もあるし神棚もあります。
そこで宗教は何かと海外で聞かれたら「神道」だと答えてたりもするのですが、神道が果たして宗教になるのかは疑問です。
八百万(やおよろず)の神様がいて、物には全て神が宿っているので、物を敬う心を持っている、それが日本人ではないかと思います。
モスクで言われた言葉
先日、我が子がイスラム教のモスクの中を見てみたいと言うので、家族でブルーモスクを訪れました。
私の夫は、中華系マレーシア人で、モスクに行くのは初めてでした。
モスクに入れることも知らなかったのです。
訪問者として受付をすると、受付の方が中華系である夫が来たことにとても驚くと同時に、感激していました。
受付の方曰く、ムスリム以外でモスクに訪れるのは殆ど、95%が日本人だそうです。
だからモスクで案内係として働くボランティアのムスリムの方は、皆さん日本語が話せます。
そして、こう言われました。
「日本人は他宗教に対して本当に寛容だ」
日本人は他宗教に対して寛容か?無関心か?
マレーシアではマレー系、中華系、インド系の主に3民族が共存していますが、それぞれ信仰する宗教があり、モスクや中華寺院、ヒンドゥー寺院といった互いの崇拝場所に行くことはまずありませんし、あまり知ろうともしません。
悪い言い方をすれば、あまりにも自分たちの宗教に固執しすぎていると感じてしまうこともあります。
その固執が、時に偏った拘りを生み出し、互いに争いになってしまうこともあるのかなと感じます。
日本人は、悪く言えば、宗教に無関心かもしれません。
でも無関心であるからこそ、宗教に対する拘りも強くなく、柔軟で平和なのかもしれません。
ドイツ人であり禅寺の住職であるこの本の著者は、日本人は普段の生活の中で「禅」の教えを実践しているから、宗教は要らないと説いています。
子どもたちは学校で、給食の準備を自分たちでして、教室の掃除もする、それこそが「禅」であると。
なるほどなと思いました。
さいごに
モスクを訪れて言われた言葉には、日本人として嬉しく思いました。
寛容で柔軟性のある国民として日本人であることを誇りに思います。
夫は、日本人がマレーシアで好かれる理由がまた一つ分かったと言っていました。
コメント